夏花火も無事に終了し、秋花火の季節となりました。
秋祭りの花火が、9月中旬にかけて秋田県南地方では行われます。
大仙仙北地域でも、大きな町の神社祭礼があり、中仙地区長野、角館、大沢郷、太田地区横堀、大曲、そして地元神宮寺など祭りの時期を迎えます。
地元神宮寺は、明治時代、県南で最も多くの花火師がいた地域です。元々は、地元9月14日15日に開催される八幡神社の祭典余興、奉納花火を担っていたのがこの地域の起源とされています。当社もルーツがここにあります。
さて、なぜにこの神宮寺地域に花火師が多かったのか?深まる謎に仮説を立ててみました。「神宮」「寺」この神仏合体の地名にそのロマンがあります。
八幡太郎義家を祀る八幡神社は、勇ましい戦いの神様、勝負の神様です。士気を高める火薬の勇ましい爆発音は、祭りにはなくてはならないアイテムだったと思います。一方「寺」、神宮寺地域は、曹洞宗宝蔵寺です。このお寺は金沢大乗寺がご本家です。そう、金沢といえば加賀藩、徳川幕府の火薬庫といわれた地域で、火薬の原料、焰硝(硝酸カリウム)の製造を行っていた地域です。焰硝、その利用法は当時の情報伝達手段「狼煙(のろし)」です。雄物川の要所要所に当宝蔵寺の檀家さん(同一名字)がいらっしゃるそうで、もしかするとその方々が狼煙担当の隠密として、この地域の番人を任されていたのかもしれません。その二つの文化が交わるこの地が、花火師の多い理由ではなかったのかと思います。 つづく