9月14日 神宮寺八幡神社祭典奉納「神岡南外花火大会」

もともとは「神宮寺八幡宮奉納花火大会」であります。また、現在は花火大会ですが花火大会形式になる前は、各商店や豪農、氏子らのスポンサーにより、御神輿の渡御にあわせて各家々の前で花火を打ち揚げ奉納していました。



祭典余興の舞台芸能に加え、御神輿の先頭をきって 打ち揚げ花火や仕掛花火が順を追って消費されていました。近隣町村より多くの人々が神宮寺八幡宮の祭典に足を運んでいたようです。

上の写真のように消防団が花火師を取り囲み、また屋根に登って見張りをするなどして安全消費に努めていたようですが、今では相当危険な距離です。花火師の技量(度胸)が今以上にあったのかもしれませんね。

このような花火消費も昭和35年の秋田県からの通達により禁止されるまで続きました。



住民からは反発があったようですが、時の神岡町長が説得に当たり、神宮寺のクレージーな玄関先花火は幕引きとなったようです。